神田川を散歩してみました⑪
万世橋からの眺めを後にして歩いて行くと

「かんだふれあいばし」

「かんだふれあいばし」は車の通れない小さな橋でした。
「かんだふれあいばし」からの眺め

秋葉原駅を横にみながら進んで行くと

「いずみはし」

「いずみはし」からの眺め

「みくらはし」

「みくらはし」からの眺め

「さえもんはし」

「さえもんはし」からのらの眺め

なんか、今までの神田川の雰囲気と変わってきましたね。
「あさくさはし」

「あさくさはし」からの眺め

屋形船といえば私の中では隅田川のイメージ。
もうすぐなのかな?
「やなぎはし」

「やなぎはし」からの眺め

そして歩いて行くと・・・

井の頭公園の「みなもと」を出発してから「すみだがわ」の合流地点へ!
遠くに見えるのはスカイツリー。
少し先の隅田川にかかる「りょうごくばし」に行ってみます。

日も暮れ始めた「りょうごくばし」
から眺めは、昼から夜に移り変わる
空が不思議な色で、そして東京にいるのに川の上が思ったより静かで、不思議な空間にいる様でした。

ゴールに辿り着いてご褒美をもらったような、そんな気分になりました。
歩いて来て良かった。
神田川を散歩してみました⑩
近代教育発祥の地「湯島」を後にして
神田川の散歩を進めて行きます。
「しょうへいばし」

昌平橋は、江戸城外堀(現在の神田川)に架かる橋の一つで、1624~1644年(寛永年間)に架けられたと伝えられています。かつては、一口橋と呼ばれたり、相生橋と呼ばれていた事もあったそうです。1691年(元禄4年)に湯島に孔子廟が設けられてからは、孔子誕生地ににちなんで「昌平橋」と呼ばれるようになりました。
「しょうへいばし」からの眺め

昌平橋から神田川を眺めていると、
右手に規則正しく壁が続いているのが見えます。
なんでしょうか?
近くまで行ってみますね。
レンガ造りの壁が続いています。

壁沿いを歩いていくと・・・

旧万世橋駅でした。
万世橋駅のあゆみ(1912年〜1943年)
初代万世橋駅 [1912(明治45)年~1923(大正12)年]は、御茶ノ水方面より延伸してきた中央本線のターミナル駅として、1912(明治45)年に建設されました。
中央本線が東京駅に乗り入れをして、中間駅となった後、1923(大正12)年の関東大災での被災により万世橋駅舎は焼失してしまいます。
関東大震災の後、焼け残った1階部分を利用して二代目駅舎が再建されました。
しかし、初代駅舎とは比べ物にならないほど簡素な姿になってしまったそうです。
二代目の万世橋駅舎を撤去した跡地に、鉄筋コンクリート3階建ての鉄道博物館(後の交通博物館)が建設されました。その後、万世橋駅は戦時色も濃くなった1943(昭和18)年に営楽を休止、31年余りの歴史に幕を下ろしました。
現在の鉄道博物館は埼玉県にありますが、はじまりは万世橋駅だったのですね。

そんな歴史のある、万世橋駅と赤レンガ造りの「万世橋駅高架橋」がショッピングや食事を楽しめる「マーチエキュート神田万世橋」として2013年9月に生まれ変わりました。

「マーチエキュート神田万世橋」は、万世橋駅の歴史的価値ある遺構が随所に残されており、無料で見学できます。




旧万世橋駅の開業時のプラットフォーム部分を整備してデッキとして利用されています。その両側には現在中央線が走るのをみることが出来ます。

マーチエキュートで見学している間に日も暮れはじめ、お店のあかりも灯り始めました。

さてゴールを目指さななくては!
「まんせいばし」

万世橋駅の欄干は歴史を感じさせる立派なつくりです。

万世橋から夕暮れ時の神田川を眺めながら先に進んでいきたいと思います。

神田川を散歩してみました⑨
神田川散歩の続きです。
水道橋(東口)を通り過ぎ、総武線の線路の横を流れる神田川を眺めながら
歩いていきます。

途中、「お茶の水分水路」の石碑がありました。

神田川にいくつかある分水路の一つです。
高田馬場辺りでもみかけましたね。
似た様な石碑がもう一つ。
「神田上水掛樋跡」

江戸時代、神田川のこの辺りに木製の樋を掛け、神田上水の水を通し神田、日本橋方面に給水していました。
明治三十四年まで、江戸・東京市民に飲み水を供給し続け、日本最古の都市水道として大きな役割を果たしました。

石碑には江戸時代の、のどかな景色が感じられる絵が描かれています。
「JRお茶の水駅」

「おちゃのみずはし」

「おちゃのみずはし」からの眺め

神田川と並んでJRの列車が走っています。
プレートにも歴史を感じますね。

「ひじりはし」

「聖橋」は下から眺めてみました。
がっしりした橋です。

水道橋駅から聖橋を渡って行くと、「湯島聖堂」と「神田明神」へ行くことが出来ます。
せっかくなので行ってみたいと思います。
[湯島聖堂]
儒学に傾倒した徳川五代将軍綱吉は、元禄3年(1690)この地に「湯島聖堂」を創建、孔子を祀る「大成殿」や学舎を建てました。自ら「論語」の講釈を行うなど学間を奨励したそうです。
寛政9年(1797)幕府は学舎の敷地を拡げ、建物も改築して、孔子の生まれた地名をとって「昌平坂学問所」を開きました。
現在、湯島聖堂の西門から入ると、「杏壇門」「大成殿」があります。
もとの聖堂は、4回の江戸大火に違ってその都度再建を繰り返しましたが、大正12年(1923)関東大震災で焼失してしまいました。1935年には鉄筋コンクリート造りで再建、入徳門は宝永元年(1704)に建てられたものがそのまま残っていて貴重な文化財となっています。(入徳門は写真は撮り忘れましたが杏壇門の前の階段を降りて行った方にあります)。



そして神田明神へお参りへ。
訪れた日はまだ1月の前半だったせいか、参拝する人も多く混雑していました。

御祭神
二の宮 少彦名命(えびす様)
三の宮 平将門命(まさかど様)
朱塗りの門が、鮮やかで綺麗です。
ですが、境内が混雑していたので、
この角度の写真になってしまいました。

大黒様

境内の中では大黒様の前でもたくさんの方がお参りしていました。
帰りの「聖橋」から神田川をのぞいてみると、神田川に並行して走るJRの列車と、その下には地下鉄丸の内線の線路が見えます。

近代教育発祥の地 湯島1丁目
江戸時代、学問の府であった聖堂(孔子廟)の一部と昌平坂学問所があったこの辺りは明治維新後、学問所は新政府に引き継がれ、昌平学校、大学校、東京大学と発展していきました。
いまでも、大学病院などを眺める事が出来ます。

神田川を散歩してみました⑧
昨年の春ごろから始めた神田川の散歩。
「みなもと」の井の頭公園を出発して、夏の初めごろまでに、江戸川橋のあたりまで歩くことができました。
その後、夏の暑さに負けてしまい、一度中断していました。
秋に再開しようと思っていたのですが色々と忙しくて、気になりながらもなかなか再開することができませんでした。
年が明けて2026年、今年の3月で1年経ってしまうので、「神田川が隅田川に流れ込む、隅田川の両国橋付近までのゴールを目指そう」
そう思い1月に入り空気か冷たく寒い日でしたが、とても良い天気でしたので神田川の散歩に出かけました。
そして、前回迄は橋の欄干の写真を漢字の方で撮影していたのですが、今回は気がついたら「平仮名」で撮影してました。少し読み難いですが、良かったらお付き合いください。

「えどがわばし」

「えどがわばし」から見る川の眺め

空は雲ひとつないです。
ここから少し橋が続きます。
「はなみずばし」

「はなみずばし」からの眺め

「かもんばし」

「かもんばし」からの眺め

「ふるかわばし」

「ふるかわばし」からの眺め

「いしきりばし」

「いしきりばし」からの眺め

「にしえどがわはし」

「にしえどかわはし」からの眺め

「えどがわばし」付近からしばらく神田川は首都高5号線の下を流れていきます。
見える景色はあまり変わりませんが、歩いて先に進みます。
「こざくらはし」

「こざくらはし」からの眺め

「なかのはし」
(ここは漢字の欄干しか撮れなかったです)

「なかのはし」からの眺め

「しんしらとりばし」

「しんしらとりばし」周辺は工事中のため、神田川を眺めることがあまりできませんでした。

あっ!
場所を変えたら少し見えましたね。

道路の向こうは首都高5号線、その下には神田川が流れています。

「しんりゅうけいはし」
「しんりゅうけいはし」からの眺め
「ふなかわらはし」

「ふなかわらはし」からの眺め

この船河原橋から水道橋までの河岸地、かつては市兵衛河岸という町名で呼ばれていたそうです。
「江戸砂子」(江戸時代のガイドブックの様な本)に、牛込御門の外(現在のJR飯田橋駅西口の牛込見附跡辺りでしょうか?)に岩瀬市兵衛という方の屋敷があり、この市兵衛の名前から旧町名がつけられていたそうです。
神田川沿いの歩道を歩いていくと可愛いらしい花が咲いていました。

山茶花かな?
しばらく神田川沿いを進んで行きます。

「こいしかわばし」

「こいしかわばし」からの眺め

左手に東京ドームが見えますね

「こうらくはし」

「こうらくはし」からの眺め
川面が鏡のようにビルの街並みを映しています。

JR水道橋駅(西口)

「ふなかわらばし」からここまで歩いてくる間に「市兵衛河岸、防災船着場」というプレートがあり、川の方を覗くと船着場の様になっていました。

市兵衛河岸は、明治8年から昭和8年まで現在の後楽園遊園地一帯にあった砲兵工廠の荷揚場としてにぎわっていたそうです。
また明治時代、この河岸から早船といわれた客船が神田昌平橋まで往復していたこともありました。
現在、町名としての市兵衛河岸は消えてしまいましたが、防災船着場として整備され、その名前が残っているのですね。
「すいどうばし」

「すいどうばし」からの眺め

「JR水道橋駅(東口)」

今回の散歩では神田川が隅田川に合流する「いちのはし」まで目指しています。
まだまだ先は長いです。
続きは次回のブログに書いていきたいと思います。
そして・・・
ブログを書いていて気がつきました。
「ふなかわらはし」の近くには地下鉄飯田橋駅があるのに「いいだばし」の写真が無い事に!
あーっ!
やってしまいました。
撮り忘れてしまいました。
このまま「いいだばし」
が無いのは・・・
なので、すぐには行けないですが後日「いいだばし」の写真を撮りに行こうと思います!
紅葉
気がついてみれば前回のブログから3ヶ月も過ぎていたなんて!
季節は移り変わって
もう紅葉の季節ですね。
1日目はあいにく、曇り空と雨の1日でしたが、予期せず、紅葉の季節と重なり
赤や黄色に色づいた景色を楽しむ事ができました。
1日目、忍野八海の近くで
雲空だったので、落ち着いた赤という感じです。

午後になって少し青空がみえると
「赤」がくっきりしてきます。


雲が出ていると、くすんだ「赤」になりますね。

緑の葉の上に散った赤や黄色の紅葉
も綺麗ですね。

次の日の朝
雨上がりの葉が朝日に照らされて
より鮮やかさが増してますね



川の流れと
黄色く色付いた木々

紅葉の下も真っ赤な絨毯のよう

こちらはカラフルな絨毯ですね


紅葉

猿橋、初めて訪れました。

公園に戻っての1枚

夕日に照らされて、輝いて見えました。
不忍池の蓮の花
毎日暑い日が続きますね。
少し前、7月も終わりの頃、
蓮の花を見に上野の不忍池を
訪れてみました。
8月の今、蓮の花の時期は終わりに近いかもしれませんが、
夏の思い出として・・・
上野へは、何度も訪れた事がありますが、不忍池は初めてかもしれないです。

不忍池などがあります。
今日は蓮の花をメインに不忍池のほとりを散歩してみたいと思います。
蓮の花の見頃の自時間帯は朝。
不忍池に7時頃には着きたいなぁ、と思っていたのですが、
出だしが遅くなってしまい到着したのは朝8時過ぎてしまいました。
訪れた日は少し雲もあり、風もあったのでそこまで暑くなく歩く事が出来ました。
案内板の現在地から池の真ん中に島の様にある弁天堂へ進みます。
弁天堂の入口には
「東叡山寛永寺弁天堂」とあります。

寛永2(1625)年に建立され、
徳川 将軍家の菩提寺も兼ねている
お寺です。
寛永寺根本中堂へは
鶯谷駅北口から徒歩約10分
上野駅公園口から徒歩約15分
の位置にあります。
寛永寺の周辺には19の
子院があるそうです。
弁天堂は子院にはなってないようですか、寛永寺の一部なのですね。

朝だったせいか弁天堂はまだ閉まっていました。

弁天堂の隣には大黒堂もあります。

まだ人の少ない弁天堂でお参りをして、今日の目的、
蓮の花を観に行きたいと思います。

色鮮やかに咲いている蓮の花。

汚れた泥の中から美しい咲かせる蓮の花は仏様の世界の花でもあります。

葉の影で涼しげに咲くの待っている
蕾もあります。

蕾も良いですけど、やはり大輪の花を咲かせている蓮は綺麗ですね。

弁天堂を眺める景色
この景色はずっと変わらず見る事のできる景色なのでしょうか?

蓮の咲く池から離れ、ボート池から眺める景色には現代の象徴、
スカイツリーも見えますね。
スカイツリーを眺めたそばにあった
オブジェ

そこには、こんか言葉が・・・
時の流れを感じますね。
寺坂棚田を訪れてみて
春の桜の季節は神田川の散歩を楽しむ事が多かったのですが、久しぶりに違う場所を散歩したいなぁと思い、5月の中頃に埼玉県の横瀬町を訪れてみました。
(もう、1か月近く過ぎてしまいましたね・・・
自分の記録として・・・)

西武秩父駅のひと駅手前で下車して、目指したのは寺坂棚田。以前埼玉県にも棚田がある事を知り一度訪れてみたいと思っていました。
道にあるいくつかの案内板とスマホの地図を頼りに寺坂棚田へ向います。


向かう先は「寺坂棚田」ですが、その途中にある「ウォーターパーク・シラヤマ」にも立ち寄りたいと思います。
「ウォーターパーク・シラヤマ」は、
横瀬川を挟んで両岸にある公園です。ブランコやすべり台、健康遊具もあり、浅瀬も多いため、夏になると川遊びも出来るそうです。

私が訪れた5月半ばは、まだ水遊びには早い季節。もちろん遊具でも遊びませんでしたが(笑)。
私が訪れたのは「新田橋の礫岩露頭」を見るために。

「露頭」とはなんだろう⁇
調べてみると「岩石、地層、鉱床などが地表に、露出している部分の事」
だそうです。
約1700万年前から1500万年前、秩父盆地には古秩父湾という海が広がっていました。地下にはこの海の地層が厚く堆積していて、各地にこの海の地殻変動を示す露頭が残されています。
新田橋の礫岩露頭も残された1つだそうです。
違う角度から写した写真


確かに、違う堆積物の層に、なっているのはわかります。
ただ、地学には詳しくないので説明はできませんが・・・
今現在、海の面影の無い秩父(山のイメージですよね)に海があった!
そんな事を思いながら見ていると
「歴史はすごいなぁ〜」と思ったりして。
急遽見に行った縄文時代の礫岩露頭を後にして、寺坂棚田に向かいます。

坂道を登って行くと

着きました。

寺坂棚田は横瀬川(荒川支流)とその支流、曽沢川との合流点にあります。
標高は230m~270m、下段の川原田と上段の丸山林道との標高差は40m、棚田には約330枚の水田があるそうです。
写真の眺めは坂道を登ってきて上から撮影したものです。少し雲がかかっていますが、奥に見えるのが武甲山です。

良い眺めです。

田植えの後の足跡が見えますね。

まだ植えられたばかりの苗。
これからどんどん成長して秋になったら美味しいお米になってくれるのかな?

美味しいお米を作って下さる、寺坂棚田の農家さん、そして全国の農家さんには感謝の気持ちを込めて「ありがとうございます」とお伝えしたいです。
帰りには武甲温泉に立寄りました。
日曜日で混雑しているかなと思い、お昼頃目指して行ってみました。

入浴してる方はいましたが、ちょうど午前と午後の合間という感じで良かったです。
秩父駅まで歩いて帰る途中で立ち寄ったお蕎麦屋さん。(秩父駅の近くだったと思います。)

ジビエのお肉入りのお蕎麦。
メニューでは鹿のお肉だったのですが、今日は猪肉との事でした。
食べてみたらお肉も柔らかくてクセもなく美味しかったです。
そして、秩父駅から帰りの途につくことにしました。